思ったこと考えたことをつらつらと
| PR | EN | CO | TR | CA | AR | LI | RE | OT |
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

 - -
自分の生活から小さな嘘を無くす
1年くらい前に読み始めた自己啓発本を
実践しようと思って始めたのが
「癖になっているが罪の軽い嘘」を辞めようというものでした
できることからひとつずつということで
ある日から嘘を吐くのを一切やめてみました
元から嘘を吐くことが嫌いだったので
そういう細やかな癖を抜き取るのは
とても簡単で気持ち良く実践できました

嘘を辞めるというのは一体どういう事かと言うと
会話の節々でよくやってしまう
知ったかぶりと聞こえているフリを
一切しないというそれだけのことです

知ったかぶりと聞こえてるフリは
会話の中で結構やってしまうんです
それも立派な嘘なんですよね
それを一切辞めてみたのです

会話の中で出てくる知らない言葉や知らない名前など
わからないことは
知らない、それは何?
って聞くことと
聞こえなかったらごめんなさい何て言ったの?って
上司だろうが旦那のご両親だろうが
気にせず聞いて
相手の話を理解できるように努めました

相手の言わんとしてることを読み取るのではなく
単純に音声や文章として
国語として
内容を理解することにまず努めたのです

心の中で思うことと口に出すことに
矛盾がないようにするのが一番のポイントです
思ったことを正直に言うのとは違ってて
だた、矛盾がなければそれでいいのです
例えば、今の聞き取れなかったけどまあいいかと思いながら
うんうんそうだよねって言うのは
言葉と心に矛盾があるということになります

もちろん言いたくないと心で思ってることはわざわざ言わなくていいし
言いたくても相手を傷つけるかもと思うなら言ってはいけないという
そこのところは意識ぜずとも同じです
それぞれ心と言葉が一致する結果になります

わからないことをわからないと言うということで
話をちゃんと聞こうという姿勢が身につきます
会話の中でも日常生活の中でも仕事でも
確認という作業は必須です
それだけで毎日とても生活しやすくなりました

なるほど
知ってるフリや聞こえてるフリをする毎度毎度に
小さいながらもストレスというか違和感を感じながら
過ごしていたんだなぁと自分の適当な部分が浮き彫りになりました
結構みんな知らない間に嘘をついてるのだろうと思います
まあ実際の他人のことはわかりませんが
少なくとも私はそうだったみたいです
ですが嘘も方便、、、
時には食らいつく必要のない場合ももちろんあるのですが、、、

自分が変われば相手が変わるなんてことは
ほとんどないのだと思います
自分が変わると自分の感じ方が変わる、それに尽きます
そして意外とそれは
自分が一番求めていたことだったりするのです
お金が欲しいといいながら
本当は心の豊かさを求めていたりするし
相手に変わってほしい
と思っているそんな自分のことこそ
一番変えたい存在だったりするのです
だから自分が変わるとスッキリするんだと思います
仮に相手が変わっても
自分が変わらないとそれに気付くことはできないだろうし、、、

自分の気持ちを汲み取って欲しいとか
気付いて欲しいとか
未だに他人にそんな期待をしてしまうときもあります
子供かよと思うけどその度に反省です

染みついた癖をひとつずつ取り払っている中で
私が一番効果がわかりやすく出たのが
小さな嘘を辞めるということでした
 
00:19 哲学 comments(0)
生きる力の強い子を育てる
JUGEMテーマ:小学校教育
育休の時間を無駄に持て余すまいと
本を読みあさる毎日だが
その中の1冊が上記の本である

わたしが教育というものに
疑問と興味を持つきっかけになった1冊
他に表現が見つからないのだが
この本からは
頭から水をかぶったような衝撃をくらった
目が覚めた、という意味もある

今まで自分が空気のように当然と思っていたことは
結局は誰かが作り上げてそうなったものだった
無理して周りに合わせる必要がないってことを
子供の頃に知っておきたかったなと思った

育児をしている母親の目線というよりは
自分の育ちに当てはまることばかりで
自分のことが書かれている
自分がここに来るまでに
一体どんなスタートを切っていたのかが
はっきりとわかった感じだった
とんでもないことを知ってしまった気分になった

同書の内容で
帝王切開と通常分娩で母性に差があるということについては
ひとりの母親として否定させて頂くが
「子供のことを本当の意味で考えた教育とは何だ?」
という点においては
素晴らしい内容だった

そして(レビューは上記までで終了です)
育児をする母親としてではなく
単なる私自身の興味で
もっと勉強しよう
もっと知りたい!ということで

2016.2.16
あるフリースクールの見学に行ってきた
タイミングよく同じ疑問を持つ友人からの誘いがあったのだ

子供たちが自身の希望で通う
私が住む兵庫県内にある
ラーンネットグローバルスクール
http://www.l-net.com/

上記の本の中にでてくる
サドベリースクールではないのだが
目指す方向は同じだと思う

まず気がついたのは
子供が元気に遊んで椅子が大きな音を立てて倒れようとも
大人(先生方)が特に何も言わないこと
わたしの通っていた市立の小学校でこういうことがあると
まず教員が生徒を怒鳴りつける
もしそこに先生がいなければ
その物音によってただならぬものをその場の生徒全員が瞬時に感じ
シーン、、、といった空気に包まれる

そういう流れがガッツリ身に染みているわたしは
少し違和感さえ覚えた

だがこのスクールの先生方すなわちスタッフも
子供に一切怒らないわけではない
例えば子供が椅子に足を上げていたとしたら
それを放っておくことはしない
だた「そんなことをするな」と”怒る”ではなく
「わたしはそれは嫌いだ」と子供に ”伝える” のである
よく考えると大人と大人の会話と同じ内容である

怒ると相手は敵になるが
意見を言って尚且つ
言われた側が敵とみなさなければ
それは仲間同士になると思う

怒っている人と怒られている人に注目しない
何故かというと怒鳴ろうと注意しようと
ここでは
怒られるということが
本来の意味を超えたり
本来の意味と履き違えたりした
恥ずかしさに変化してしまっていないからである
だから当然誰かが怒られてても注目しない
大人たちと子供たちはいつも対等なのである

ただらなぬ空気感に包まれるのは
子供たちが大人から何かしらの圧力を感じ取るからである
大人を怒らせてはいけないということが
子供たちの目的になってしまい
本来つく必要のない嘘や、本来しなくていい無理が増える
本当のことが言えなくなる

まあ上記のことは私自身のことでもあるのですが
そう感じつつも口に出せない子供達は
子供の頃のわたしを含め、少なくはないと思う

そうして
人一人の個性が死んでいく
ここで私がいう個性とは「変わっている」という意味ではなく
一人一人が「個」であるという
辞典に載っている意味以上も以下もない
そもそも個性という言葉を
皮肉交じりで
変わり者というような意味を持たせて使ってきた歴史が
全てを物語っているうようにも思う

と、椅子と机が倒れたり
先生たちが子供たちに何かしら叱ったときに
わたしはそんなことを思った、、、

そういう小さな積み重ねが
子供たちの自信を折っていくとわたしは思った

次回はラーンネットで見た
面白い授業内容について書いていこうと思う
 
16:23 教育 comments(0)
はじめに
わたしが小学校2年生の時にスピード、
小学校6年生のときにモーニング娘がピークだった

その頃に小学生として小学校に通った日々は
楽しかったといえば楽しかったけれど
最近になって疑問に思うことがある
あんなにも周りに合わせて
全てにおいて右向け右でいいものなのだろうか

枠からはみ出ることを否定する
集団で同じことを学び
テストで点数をつけて
出来不出来を浮き彫りにする
大人の言うことをきく
大人にとっての都合のよい子がいい子で
それ以外は聞き分けの悪い子と言われる

これは完全に理想論だが
好きなことを好きだとみんなが言える環境
杭は出ても打たれはしない環境
人間関係がうまくいかなくても
学校だけが世界なんじゃないってことを
知ることが可能な環境
そして自由な選択が与えられる環境
そういう環境があれば
自殺する子供だって減ると思うし
これから大人になる子供たちが
生きていくことのスタート地点を楽しいと思えることは
とても大事なことだと思う

出る杭は打たれる日本社会だが
小学校からそれをする事はないだろうと思う

学校という狭い世界で
文部省が決めた内容をただただ詰め込む
そしてそれを○×判定される
それが見に染みてしまっているから
他人から×と言われると自信がなくなるし
○と言われると嘘でも頷いてしまう
自分が○と思っていることに
他人からちょっと意見を言われただけで
×だと言われたなんて勘違いして
ついには敵とみなしてしまう

本当に必要な教育というのは
社会に出た時に
社会の中で意見が言えることや
そこで意見の違う人に出会っても
それを敵と見なしてしまわないこと
同じ組織の仲間であるならば
意見の食い違いで対立せず
共に考え、より良い方向へ進んでいけること
その方法があると信じ導き出すこと
交渉力、誠実さ、自尊、他尊、伝える能力
あげるとキリがないが
そういった能力を身につけられる教育を
もっと入れ込んでいくべきだと思う


わたしはこの国を良くしたい
この国がもっと良くなりますようにと思って過ごしてきた
民主党が政権を握り
尖閣諸島問題で国が揺れたときにも
のちに原発について改めて考えるきっかけになった
東日本大震災のときにも
ひとりの国民として
国のことを想ってきた

国をよくするには
国民が一人一人考えなければならない
今考えて
今行動しなければならない
そうやって
社会は良くなっていくんじゃないのか

未来を担っている子供たちにも
その大切さを伝えなければならない
何よりもそれを超えていく力と心が
子供たちにも必要なんだと思う

そう思ってこのブログから
何か発信していこうと思った
真実に立ち向かえる強さを備えた教育が
この先は必要なんじゃないのか、というのが
このブログの始まりだ
 
17:43 - comments(0)
待機児童
世の中、待機児童って言われても
ピンとこない人が大半だと思う
わたしも息子生まれて
実際に保育園入れませんよって通知が来るまでは
ピンと来なかった

母親のほとんどがその問題を理解しているけど
世の中の半分は男性
世の中の女性の中の何人が母親かっていうと
この問題は
日本の中でも少数が抱える問題でしかないと言える

わたしは正直、小学校から帰ってきて
母親不在なんて嫌だ
子供目線で考えて
帰ったらお母さんに会いたい
治安の意味でも
子供が留守番してる家ばっかりなのもどうかと思う

あと、これはわたしが個人的に思うことなんだけど
子供を産んだのなら
働きたい働きたいばっかりじゃなくて
働きたい気持ちより
育児に専念するのが本来だとわたしは思ってる
というか息子を見てて気付いたのだ
子供にとって母親は一番側にいてほしい存在だから

母親が働くことを否定するつもりは一切ない
理想の母親像を語るつもりも一切ない
だけど産んだからには
つきっきりで育てることは決して悪くないと思っている

大人都合で物事決めるんじゃなくて
子供のことを本当の意味で考えなければならない
保育園を探すのは親だが
保育園に実際に入れられるのは子供である
その子供は未来である
どの子供も未来を担っている

保育園に入れるなんて子供を大切にしてない、とかって
思っている訳じゃない
でも一度、子供の気持ちを考えてみてほしいと思う
自分が子供の頃どうだったか、でもいい

結果的に保育園に入園させるかどうかは別なんだけど
一番大切なのは子供本人だと思うから


そして
何年も前からずっと思ってきたけど
文句だけを言うのは実に簡単なことである
責任もないしね
自分が文句ばっかり言ってたからわかる
思い出すと恥ずかしい

でもそれじゃあ何も変わらない
おかしいと思ったことは
どうやったら良くなるのか
感情ではなく理性で考えて
行動にしていく
それが社会人だと思う

そうやって社会をより良くしていきたい

保育や、産後女性が働くということに
日本はまだ発展途上だと思う
それをどうしていくかを
今育児に専念している母親のみんなで
作っていくべきなんだと思う

働くことだけが社会活動ではないと思う
本当はもっと自由に声をあげていいはずだ


渋谷や宝塚で同性婚が認められたり
パナソニックが同性カップルを容認したり
少数派が救われる時代が
日本にもやっと来たような気がしている
国や大きな組織が動けば、人の見方なんてすぐに変わると思う


おそらく常に少数派である母親のみんなが心豊かに働ける日も
そう遠くはないと
一人の母親として希望を抱いている、、、

話題になっている今こそ
立ち上がる母親のみんながいてもおかしくない

そして直感でふと思ったのだが
働きたい母親が働くためには
保育園しか選択肢はないのだろうか、、、

本当にそうなのだろうか、、、
と、根本的な疑問も抱いてみたりしながら今日は眠る、、、
16:10 育児 comments(0)
タイトルの意味
ブログのタイトルは
学生時代大好きだった
(リアルタイムではありませんでしたが)
JUDY AND MARYのライブアルバムから
勝手にそのまま頂きました

数字はおそらく
アルバムに収録されているライブの動員数

わたしは
社会に対する疑問というものは
世の中の多数決という壁に
常にぶつかるものだ、とも感じているので
イメージにぴったりだと思いました

なので
JAMのアルバムが多数決だとかどっちが多いとか言う意味は一切ないであろうということ
わたしが勝手に借りているということだけは
先に述べておきます
17:10 - comments(0)
1/1PAGES